白黒よりも鮮やかで

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人との心地良い距離感についての考察

「初対面の人の方が、自分の思ったことを喋れるんよ。」
こんなことを、知り合いが言っていた。
居酒屋で出会った初対面の人に人生語りをしていた人だ。居酒屋で。人生語りって。型破りだなぁと思いながら、一方でなんかわかると共感できる部分もある。


確かに一回限りの人間関係は、距離感が心地いい。ここで楽しく話しても、もう二度と会わないかもしれないなという思いは良い意味で、わたしの心を軽くしてくれる。
初回割狙いで行った美容室のお姉さんや
どこかのイベントで出会った人、
人のツテやネットなんかで知り合った人。

この人たちはわたしのことを知らないから、否定も肯定もしない。 この人たちともう会うことはないから先のことを考えずに、わたしらしく関われる。それに甘んじて人に言えないようなことをポロっと言っちゃったりすることもあるのだけど 笑

昔からわたしは、人との距離感を取るのがとても苦手だ。親密なほどよい距離感がわからない。わたしのなかでは、依存関係か初対面かの二択なのである。

小学生の頃から、わたしは数々の友人関係を破滅させてきた。仲良くなって破滅を迎えるその流れを、あの時わたしは災害のように思っていたけど、今思えば震源はわたしで、専らわたしの友だち依存が原因だった。まるで母へのように友達に寄りかかってたわたし。友だちも迷惑だっただろうな。

誰かに依存したい、という気持ちの根っこは、誰かに受け入れられて愛されたいという思いにある。
最近わたしは児童福祉の施設でバイトを始めたのだが、そこにいる幼児たちに共感してしまうのだ。彼らは小さいながらに、いろんな手段を使って「愛して。こっちをみて」と精一杯訴えかけている。そういうのを見て、わたしは、やっぱりなんだかわかるなぁなんて思う。

21歳のわたしもまだ、まだ愛されたいなんて思ってるから、まだ小さい君たちはもっともっと強く思ってるんだろうな。

まだ少しは愛に飢えるわたしは、依存志向が頗る強い。まぁいわゆるメンヘラである。何度も何度も人間関係に失敗してきて、わたしは人間関係を破滅させるのが怖くて、自分の依存心を覆い隠すようになってしまった。ほんとは誰かと親密になりたいけど、依存しそうで怖い。あいつはメンヘラだと倦厭されるのは嫌だ。
あんまりわたしのことを知らない人からは、しっかりしてそうと言われるのだが、それはまるまる依存心の裏返しなのである。

親密になるのが、怖い。この気持ちが強すぎて、仲良くなればなるほど距離を置きたくなるという厄介なパターンを形成してしまった。
仲良くなったら、会う頻度を減らしてしまう。
毎日会う人には、自分のことはあんまり話さない。だから、恋人とか親密な関係にならざるをえない人が、物理的に離れているのはありがたい。

そしたら、しんどくなったらどうするのか?
ただただ嵐が過ぎ去るのを待つ、というのがわたしの常套手段だった。
わたしの遠距離の恋人はとっても優しくって、頼ってもいいよと言ってくれた。ほんとにほんとにありがたい、けれど。

だけど、頼るって難しい。頼るってなんだろう。どうやって頼ればいいんだろう。

今のわたしには難しい。

中高のトモダチでいまは遠く離れてる子に、
現状の報告をして聞いてくれてありがとうと言った時、こんなラインをくれた。


否定も肯定もしない。
だけど返事はくれる、受け止めてくれるという安心感にわたしは心から救われる。
しっかり手をつなぐのは、怖い。
小指で手を繋いでるくらいの、緩やかな心の距離感が、わたしには甘美で心地いい。