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白黒よりも鮮やかで

ブログ名を変えました。大学生、進級しました。

ブランド論

 

 

この間、先輩方とお話していた時のこと。

男の先輩がふと零した言葉が耳に止まった。

「なんで女性ってそんなにブランド物が好きなの?」

 

ブランド好きなのは女性だけではない。

こだわる人は泥沼のようにはまっていく、そんな印象である。

 

私は「良い物」は好きだけど、自分がどこで服を買ったかもわからないズボラなので

多分、ブランドを追いかける資格もないと思う。多分。でも私も思うのである。

なんでブランドに執着する人はそんなに執着するの?

 

ブランド好きは「良い物好きなのか」。ブランド好きが高じたら、オーダーメイド好きになっていくのか。それともブランド好きは永遠にブランド好きで、ずっとヴィトンやエルメスを追いかけ続けるのか。

 

そもそもブランドの良さというのはその服のデザインにあるのか、それとも品質にあるのか、タグにあるのか。それすらもわからない。

 

元々はその服のデザインと品質に対する保証書がタグだったのではないかと思う。

このデザインとこのクオリティはウチのものですよ、と。だから首元の内側にタグをつけた。だれも見ないような場所に。

 

だが、ハイブランドになるにつれて、そのタグを前面に出すブランドも増えてきた。

いわば歩く広告である。しかし、着る身としては、これで何を着てるかが、その服にどれほどの投資をしているかが露わになる、いわば価値尺度としての性格を持ち始める。

 

その服のデザインが好きだからブランドを着るという人がいる。これは私が好きな答えである。この時、主導権は服を着る人の方にあって、着る人はいたって自由である。

 

このブランドは高品質なのがわかっているから、買う。という人がいる。分からなくもない。どんな素材を使っているか、いい物なのか判断する面倒な時間や勉強の手間を省いた、合理的な時短方法である。しかしそれは、自分には良い物を見極める能力がないという敗北宣言にもなり得る。

 

例えばシャネルを持ちたいから持つという人がいる。この人はブランドに踊らされている人である。

 

 

ブランドにこだわらないと言いつつ、私にもそういう面がないわけではない。

高いワンピースを着て街を歩いてみたい。

大人になったら、安くても大体なんでも様になる若い時代が終わったら、

そういう買い物が増えていくのかなあと思うと少し悲しい。

 

 

自由なんて存在しないとは思いつつ、資本主義に踊らされたくはないのである。

自由に好きな服を選んで、好きな服を買いたい。

 

こないだ可愛いなと思った花柄のワンピースがあった。あそこのショッピングモールの〇階のあのあたりのお店ということしか覚えていない。有名ブランドなのかどうかもよくわからない。悩んだけどやっぱり買いに行こうかな。

 

さて、先ほどの話に戻るが、女の先輩の答えが的を得ていた。

「ブランドが好きなんじゃなくて、ブランドが似合う女性に見られたいのだと思います」

カッコいい。

 

この先は恋愛論になってしまいそうだが、こういう答えは好きである。

 

 

 

おわり