読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

白黒よりも鮮やかで

好きなものを好きと言えるのがブログだと思う。

下げ場でのこと

10月。新学期に伴ってバイト先も変えた。動機と呼べる動機はなかったが、やはり知らない世界を知るのは面白いと思う。ホテルのバイキング形式のレストラン。ホテルマナーと手際はもはや技術だと思う。何にも知らない赤ちゃんみたいな新人に任されたのは下げ場だった。

 

下げ場とはホールと裏を繋ぐ場所。中継地点のような役割だ。カップ、シルバーの補充から使用済みのお皿や生ごみの取り扱い、コーヒーマシーンの点検など仕事は多岐に渡る。 忙しい時は本当に忙しい。以前マルチタスクを極めたいとか言っていた友達がいたが、マルチタスクを極めるには持ってこいだと思う。ともかくそのくらい、自分が如何に手際の悪い無能な人間か思い知らされる気がする。

 

けれど一度支配人から褒められた(?)ことがあった。「君は仕事がはやいね」と。

でも彼が続けて言った言葉はこうだった。

「これが出来ない人間は使い物にならないからなぁ」

褒められたのか、煽られたのか、どういう意味で受け取れば良いかは正直よくわからない。

 

まず、自分の仕事が「見られていること」に衝撃だった。前も飲食をやっていたのだが、万年人手不足。どんなに有能な人間でも首が回らない程のところだったから、みんな他人の働きっぷりを見る余裕なんてなかった。

 

と言いたいところだが、そこでも多分見られていたんだと思う。自分が思っている以上に。

 

彼の後の言葉に関してだが、

これから行くどの業界にも「見極め」 ポイントが存在するんだろうなと思う。それが登竜門でもあり得るし、逆に振り落とされる可能性だってある。面接だけでは恐らくわからない。面接はできる限り自分の会社においてリスクの少ない人物を選考する過程であって、本当の見極めポイントはその先にあるのかもしれない。まぁ当然といったら当然で下を経験しない人間が、上に立って下にするとトンデモナイ的外れなものになるのは明白だから。基礎が無い者が前に進めないのは当たり前の話である訳だけど。

 

けれど、どの業界でも成功するには始めの見極めポイントを見逃してはならない。そう心に誓った大学一年の秋だった。

 

 

せかいいち素敵な女性の話

 

私が最も尊敬する女性の中に

来年の4月に100歳を迎える、ひいおばあちゃんがいます。

 

わたしの知る中で、誰よりも女性らしい女性です。

「女子力」では彼女に敵う人は誰もいないと思っています。

そのくらいわたしの自慢のひいおばあちゃんです

 

ひいおばあちゃんは

94歳に脳梗塞をおこして倒れる日まで、

毎朝6時に起床してメイクをし、ウィッグを被り、

きれいな指輪やブローチをつけているような人でした。

毎日どこに行くわけでもないのに、いつもおしゃれな女性でした。

倒れる日まですっぴん姿をちゃんと見たことがないくらいです。 

 小動物が大好きで、90を過ぎて韓流ドラマにハマり出す、いつまでも若いおばあちゃんでした。

 

わたしは小学生の頃、親の仕事の関係で週に2回は祖母とひいおばあちゃんが暮らす家に行っていたので、かなりのひいおばあちゃんっ子でした。

 わたしの記憶にあるひいおばあちゃんはソファーに腰を掛け、いつも穏やかに笑っていました。

 

わたしはそんな姿しか知りませんが、かなり壮絶な人生を送ってきたようです。

富豪の娘として生まれたけれど、父が保証人となってしまったせいで

他人の借金を背負うことになり全財産を失ったことがある とか。

 

 広島市内出身で、ひいおばあちゃんもまた原爆で被害を受けた一人でした。

ひいおばあちゃん自身は大阪へお嫁に出ていたので助かったのですが、

家族・親戚全てを失いました。

駆けつけて見れば皆眼球が飛び出していたそうです。

 

戦後はお店をするものの、経営が傾き、結局お店を畳むことになったとかいう話を聞いたこともあります。

 

一体どんな人生を送ってきたのか、

自分のことについてはあまり語らない人だったので詳しくはわかりません。

わたしも自分から聞くことはしませんでした。

 

そんなひいおばあちゃんも倒れてからは認知症が進行してしまい、

今は老人ホームにいます。

 

ホームではいつも猫のぬいぐるみを抱きしめています。

とっても愛らしいのですが、以前の姿を思うと少し寂しく感じます。

 

日によってボケが進んでいる日とそうでない日があるのですが、

先日会いに行ったときは、たまたま良い日で私のこともちゃんと分かってくれました。

ほとんど会話ができなくなったのに、私を見て「娘らしくなったね」と言ってくれました。

 

その時ちょうど、ホームの夜のご飯のタイミングに被ったのですが、それを見て唖然としました。

メニューはおかゆに具のないお味噌汁、ミキサーにかけた野菜、魚の形のかまぼこ

 このホームでは入所者に合わせて献立や硬さを変えるのですが、ひいおばあちゃんのはこのような感じでした。

 

ひいおばあちゃんほど高齢になれば、ホームでのイベントにも参加できず入所者は毎日寝たきりで過ごす日々。

唯一の楽しみといえば食べることくらいです。

 

上手く食事ができない人に人に固形物を食べさせると、ヘルパーさんは後の処理が大変という話を聞いたことがあります。人手不足のこのホームの都合もわかります。

 

けれど認知症になったと言っても、正常な感情がなくなるわけではありません。

おいしいものを食べたらおいしいと感じるし、人に会えれば嬉しいし、昔の写真を見れば懐かしそうな表情をしています。

その日はひいおばあちゃんは、わたしたちが持ってきたフルーツサンドとゼリーをおいしそうに食べていました。

 

正直ひいおばあちゃんに出された食事は、ただ栄養摂取を目的としただけのものにしか見えませんでした。自分でなにもできなくなったお年寄りをどこまで尊重できるのか、高齢化社会の課題を垣間見た気がします。

 

ひいおばあちゃんの老いを間近で見てきましたが、決して綺麗なものありません。

ドラマのように綺麗に弱って綺麗に死ぬなんてあり得ない。

けれどボケて何もわからなくなった状態で出る言葉や仕草は

きっとひいおばあちゃんが人生をかけて築き上げたものなのだと思います。

 

本当に優しい人だったから

いまもなお、優しい言葉をかけてくれる。

いつまでも素敵な女性でいたいと思い続けた人だったから

いつまでも自分の一番素敵な表情を出すことができる。

 

ひいおばあちゃんの生き様には憧れます。

だから今は美味しいものを食べて、綺麗なものを見てほしいと思います。

 

 

 

 

釜ヶ崎のこどもたち

 

数日前の話です。

私は大阪の釜ヶ崎という町にあるこどもの里へボランティアに行きました。

以前にもあるイベントの折に釜ヶ崎を訪れたことはあったのですが、その時は生田武志さんに案内していただき、

一人でこの街に足を踏み入れるのは今回が初めてでした。

 

この街について簡単に説明すると、

釜ヶ崎は別名あいりん地区。日本で一番、ホームレスの方が多く集まる街です。

最寄りは環状線新今宮駅御堂筋線では動物園前。

この街を最初に訪れたとき、本当にここは2016年の日本なのか…と言いたくなりました。

まず、街全体が一昔前の雰囲気に包まれています。

例えば、「犬を放し飼いするな」という看板があったり、立ち並ぶお店の雰囲気もどことなく懐かしい。

そして物価が違います。自動販売機の缶ジュースは50~60円くらいで、ペットボトルでさえ100円切るか切らないかの値段です。

もうひとつ、この街の男女比、平均年齢も特徴的です。

昼間から営業している露店の居酒屋のおじちゃんを除けば、高齢男性以外ほとんど見かけることはありません。

(売春宿が集まる地区があると聞いたので、女性はいることはいるのでしょうが…)

 

 

今回はそんな街に、行ってきました。

こどもの里は街の端のほうにあるということもあり、街の外側から入る、動物園前駅からのルートを利用しました。

この行き方では、街の中心部を通るのは一瞬なのですが、

怖かった。

この街に入る瞬間に緊張が高まる。

そういう自分に罪悪感を感じながらも

どうしても怖いという感情が先行してしまいます。

 

アル中と思しき、ろれつの回っていないおじさんに絡まれたこともあるから、なのかもしれません。

 

前置きが長くなりましたが、今回の目的はこどもの里のボランティアです。

 

こどもの里は、学童保育とファミリーホームが一体となったような施設です。

普通の家庭の子も多いのですが、様々な事情を抱えた子供も多いのが、この施設の特徴です。

好きな時にきて、好きな時に帰っていい、止まることだってできる。ちょっとおおきい家族みたいな、そんな場所でした。

クーラーもない、設備も決して十分だとはいえないこの場所で、子供たちは遊び、勉強します。

首のすわったばかりのあかちゃんから、高校生くらいの大きな子までいます。

 

ここで見たものは、正直、驚きに溢れていました。

 

こどもたちは、目がきれいで、いきいきしていました。

エネルギーがすごい!

 

ここの子供たちは、元気いっぱいで他の子供たちと何ら変わりはありませんが、

ある部分では突出した大人です。

こどもの里には、おやつの時間があって一人ずつ、お皿におやつをもらうのですが、

その食べ終わったお皿を、幼稚園児でさえ自分で洗って片づけていました。

 

首のすわったばかりの赤ちゃんをあやしている小学生の女の子もいました。

 彼女の目にはもう責任感があった。大人の目でした。

 

すごいな、とただただ溜息しかでない。

 

彼らは、わたしにはないものを持っていて

わたしが全く知らない世界を見ている、そんな印象でした。

 

けれど現実は皮肉なもので、

彼らは社会で評価されやすいものを、持っていない。

 

やはり学力面では、甚だしく後れをとる。

小学生4年生向けの漢字ドリルを解いて、ほとんど回答できてない

同い年(18歳)の子がいました。

 

きっとこういう環境の中にも進学を望む子がいたとしても、そのハードルが高いことは言うまでもありません。

 

様々な要因で、学習できる環境がなく

もしかしたら勉強の持つ意味も、違うのではないかなと思いました。

 

けれど、そうすれば、就ける職種が限定されていくことは自明です。

日本のような相対貧困の世界ではシンデレラストーリーなんてほとんど存在しないからです。

 

大学のレベルが上がれば上がるほど、

その親は高所得者である確率が高いという話を聞いたことがあります。

 

きっと恵まれた環境で育った人は、ホームレスの方や、この街で育った人のことは視野に入ってないだろうし

それがどういう意味を持つか、考えたこともないのかもしれません。

 

学歴社会の日本では、育ちの良い人達ばかりで国を担っていくのだと思うと、

つまらない国だなあと思います。

そして、不利な立場に置かれている人達のとの距離が、永遠に縮まらないのではないかと思うと、かなしくなります。

 

他人事のように書きましたが、私も不自由なく育ってきた無知な人間です。

これは自戒でもあります。

 

話が逸れましたが、

こどもの里は、ホームレスの方とのかかわりを大事にしていました。

釜ヶ崎の中心にある公園で、ホームレスの方と一緒にお祭りをしたり、

冬には、安否確認の夜回りをしたり。

実際、私が行った時も、こどもたちがおやつを食べている横で、

障害を抱えたホームレスの方が、職員さんに、おやつを食べさせてもらっていました。

釜ヶ崎にあるのですから、ここのこどもたちにとっては、そういう風景が日常です。

 

そのような、社会が見せたがらないところを当たり前に見てきた子供たちは、どのような大人になっていくのでしょうか。

 

少なくとも、わたしのように怖がったり、

差別したりするような

情けない人間にはにはならないんだろうな、と思います。

 

きっと君たちは優しいひとになるよ

 

わたしも、変わっていかねば、と思います。

 

はじめまして

 

どうも、はじめまして。

 

本日ブログを開設しました。

 

大学生活が始まって早半年。半年の間に私はいろいろな経験をしました。

様々な学生企業家にお話を聞いたり、海外インターンを運営する学生団体に所属して、その内部を垣間見たり、釜ヶ崎へボランティアに行ったり、作家さんにお会いしたり・・・

そうした中でいろいろなものを見ました。感じることがたくさんありました。

 

だけど、twitter や facebook にはそのことが書けなかった。

感じた事をそっくりそのまま人に話すこともできませんでした。

 

私はジャーナリストを目指しています。

それだったら、それをそっくりそのまま文章にしてやろうと思って。笑

 

現在のこともそうですが、私の中で消化されずに残っていることを少しずつ、書いていきたいと思います。

 

よろしくお願いします。