白黒よりも鮮やかで

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少年犯罪と自尊感情について

 

「空が青いから白を選んだのです」というのは、奈良少年刑務所の少年たちが書いた詩をまとめた詩集である。余りに美しい題に惹かれて手に取った。題はその詩の中からとったものだという。中身もまた、飾り気のないストレートな美しい言葉が綴られていて、それがが心に沁みた。

空が青いから白をえらんだのです ―奈良少年刑務所詩集― (新潮文庫)

空が青いから白をえらんだのです ―奈良少年刑務所詩集― (新潮文庫)

 

 

 これらを書いたのはすべて受刑者だ。彼らがどんな罪でここにいるのかは具体的に書かれてはいないが、強盗・殺人・薬物等の罪を犯した人もいるという。どんな凶悪犯罪者かと思うが、この柔らかく真っ直ぐな言葉を紡いだのもまた彼らである。日本では刑務所の中について実際に取り上げられることはまずないし、家庭裁判所も非公開が原則だ。ここにいる彼らは普通語られることはない。この本の素晴らしさは普段光の当たることのない人達に光を当てたことである。勿論彼らの犯した犯罪の裏に被害者がいることは承知しているが、それでも社会の腫物扱いするのではなく、まっすぐ彼らを見るべきだと思う。

 

 

著者も書いている通り少年犯罪の加害者というのは、社会的弱者という場合が多い。少年たちは始め固く心を閉ざしていたと書かれていた。彼らの詩はどことなく寂しさや悲壮感、自信の無さを感じさせた。

 

少年犯罪を犯した子がどんな子か、というのは以下の本が詳しい。

 

家裁の庭から―調査官が見た子どもの深層

家裁の庭から―調査官が見た子どもの深層

  • 作者: 原口幹雄,家庭問題情報センター
  • 出版社/メーカー: 日本加除出版
  • 発売日: 2001/03
  • メディア: 単行本
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 この本には様々な実例が紹介されており、その一つに、バイクの無免許運転や暴走行為で家庭裁判所に連れてこられた家出少女の例があった。彼女は家裁に連れてこられた当初、年齢不相応の「トゲトゲとした態度を見せていたのだが、不仲だった家族から「帰っておいで」という連絡をもらってからは、ころっと態度を変えて年齢以上に子供らしい態度を見せた、という。

 

 これは犯罪を犯した愛着障害の子の例だ。愛着形成ができなかったことで過度に親に反抗し、犯罪に繋がってしまった。しかし一方で、この反抗は「愛されたい」裏返しなので家族から連絡をもらって一変し従順になったのだ。

 

この様に少年犯罪の加害者は幼い頃に虐待・親の離婚・家庭崩壊・いじめ等様々なストレスに晒された子という場合が多い。これらの問題の肝は、子供たちが大きくなっても引きずり続けることにある。愛着障害自尊感情の低さ、当時生き抜くために身につけた自衛反応が成長してから自分の首を絞めることもある。この中で、とりわけ重要なのが自尊感情である。自尊感情は自己肯定感とも言われ、自分で自分を認めることだ。自尊感情は対人関係などの全ての根幹になり低いと生きづらさの原因となり得る。

これには、自分を抑圧し積りに積もって耐えきれなくなった頃、何かのきっかけで爆発してしまうという危険因子をはらんでる。それが他人に向く場合もあれば、自分に向く場合もあり、前者なら暴力事件などであり、後者は薬物や援助交際に当たる。

 

事件の裏で加害者の声にならない声で叫んでいたとしたら、自分の傷が誰かの傷を生んでいるとしたらこんな悲しいことはない。

 

詩の話に戻るが、彼らの詩は著者が行った講習の中で集めたという。この講習も自尊感情を高め、自分の罪の重さに気付かせることを目的としている。彼らは、このプログラムは他の受刑者たちとの関わり合いを通じて、自分を愛することを学んでいく。これを通じていつか彼らが自分を傷つけなくても生きれるようになりますように。出所後の彼らを誘惑から守ってサポートしてくれる人がいますように。

福祉が入り込む隙間も多そうだ。

 

 

 

もう少し社会が寛容であれば、と思う。

更生した少年たちに対しもう少し広いチャンスを、と思う。

なぜなら元々お金持ちの人間がどんどん財を増やしていく超成功物語が存在するなら、また社会的地位が低い人間が際限なく転落していく人生もまた存在するからだ。

資本主義の世界には、一部の人間が大成功する傍ら、他方その皺寄せが一部の人に押し付けられるということがあるからだ。

彼らは小さい頃から社会のダークサイドを背負わざるを得なかった。

努力主義・個人主義訴えながら実は社会階級の低い層と高い層には大きな隔たりがある。実際低い層は犯罪を犯してもおかしくないような状況に置かれながら、万一犯してしまったらそれ以下へと転落する。

 

彼らが犯罪を犯す前に、いや犯してからも彼らに合ったメンタリティサポートも必要だと思う。

 

 

おしまい

 

ブルーバレンタイン

 

 

『トラウマ恋愛映画入門』の表紙を飾る映画を見た。関係が冷めきった夫婦が別れるまでのストーリーである。同時進行で進む、出会ってから結婚するまでの回想シーンとの対比で更に胸を締め付けられる。

 

主人公のディーンとシンディ。出会った頃、シンディは医学部の女子大生で、ディーンは高校中退の無職からやっとペンキ屋の仕事を手に入れたという時だった。シンディは元彼に妊娠させられ、中絶を試みるも術中に思い直す。それに立ち合いながらもディーンはシンディに結婚を申し込み、その子を自分の子として育てて行くことを決意する。このころは二人は深く愛し合っていた。

しかし現在は数年経ち、関係はがらりと変わってしまった。シンディは看護師で慌しい日々を過ごし、家事も全てこなす。だが、子供に構ってあげられる時間は少ない。それに対しディーンは負担が少ない仕事をしているのか、朝から酒を飲む始末である。だが子供との触れ合いはかなり大切にしている。ディーンとシンディは価値観が大きくすれ違っており、互いに不満を抱えながらも日々を過ごしていた。

 

愛犬の死をきっかけにディーンは良好な関係を取り戻そうと試みるも、失敗し二人は結局別れることになる。

 

ディーンもシンディも最高に不器用だった。シンディは自分の悩みを想いを素直に伝えられないし、助けてほしい時に真っ直ぐ助けてと言えない、そういうタイプである。

ディーンも、会話が面白く機知に富んだ人物であるが、大切なところで失敗する。自分本位なのか、思い付く選択肢が少なすぎるのか。ディーンがもう一度関係を改善させようと、選んだデートの行き先のセンスが余りにもなさすぎて、観てる側としてはいじらしい。

 

この二人はお互いゆっくり向き合ったことがないようだ。不満を伝えると口論になる、喧嘩になる。そこには我慢か別れるの二択しか存在しない。ずっとその問題を見ないことにしていても、無視できない日はいつか来る。 よく見れば出会ったころからその種は撒かれていた。最後の日にお互い自分の1番嫌なところを曝け出して、傷つけて泣きあって。

 

有終の美なんて存在しない。

別れ際はいつも美しくない。美しかったら初めからそれは恋愛じゃないし、本当の別れ際ではないと思う。

 

エンドロールに流れる曲は、ディーンが初めてシンディに「愛してる」と伝えた時の曲だった。

 

二人の関係の初めから終わりまで答が全てここにあると思った。

切ない。

最高に切ない。

 

 

↓ディーンが初めてシンディに告白したシーン

Blue Valentine Ukulele Dance Scene - YouTube

 

↓映画詳細

 ブルーバレンタイン - Wikipedia

 

 

トラウマ恋愛映画入門 (集英社文庫)

トラウマ恋愛映画入門 (集英社文庫)

 

 

 

 

 

勝利を確信する瞬間について。

 

勝利を確信する瞬間ってなんでこう、独りよがりなんだろうと思う。

昔よくやってたスーパーマリオは、ゴールしたらミニマリオがハタに飛びついて、ハタが降りてくると「win」の文字が出た。

ハタに飛びついた途端、勝利は我が物だった。はやく「win」が出ないかなとかいう焦燥感とか、ワクワク感とか。

 

何回成功しても、毎回毎回同じ様に任天堂は毎回毎回「win」を見せてくれた。

 

10年経って、

完全勝利を確信しても待ってる結果が「win」とは限らない、

そんな勝利が増えた気がする。

羽生結弦が表彰台に飛び乗るような喜びなんて殆ど存在しなくて、

80年代の映画みたいに多分タバコ吸いながら黄昏れるしかないような喜び。「ヤッター」なんて、なんの感情もなしに言えないような。

 

祝杯は今はスイーツだけど、いつかは渋くなっていくんだろうか。

 

ブランド論

 

 

この間、先輩方とお話していた時のこと。

男の先輩がふと零した言葉が耳に止まった。

「なんで女性ってそんなにブランド物が好きなの?」

 

ブランド好きなのは女性だけではない。

こだわる人は泥沼のようにはまっていく、そんな印象である。

 

私は「良い物」は好きだけど、自分がどこで服を買ったかもわからないズボラなので

多分、ブランドを追いかける資格もないと思う。多分。でも私も思うのである。

なんでブランドに執着する人はそんなに執着するの?

 

ブランド好きは「良い物好きなのか」。ブランド好きが高じたら、オーダーメイド好きになっていくのか。それともブランド好きは永遠にブランド好きで、ずっとヴィトンやエルメスを追いかけ続けるのか。

 

そもそもブランドの良さというのはその服のデザインにあるのか、それとも品質にあるのか、タグにあるのか。それすらもわからない。

 

元々はその服のデザインと品質に対する保証書がタグだったのではないかと思う。

このデザインとこのクオリティはウチのものですよ、と。だから首元の内側にタグをつけた。だれも見ないような場所に。

 

だが、ハイブランドになるにつれて、そのタグを前面に出すブランドも増えてきた。

いわば歩く広告である。しかし、着る身としては、これで何を着てるかが、その服にどれほどの投資をしているかが露わになる、いわば価値尺度としての性格を持ち始める。

 

その服のデザインが好きだからブランドを着るという人がいる。これは私が好きな答えである。この時、主導権は服を着る人の方にあって、着る人はいたって自由である。

 

このブランドは高品質なのがわかっているから、買う。という人がいる。分からなくもない。どんな素材を使っているか、いい物なのか判断する面倒な時間や勉強の手間を省いた、合理的な時短方法である。しかしそれは、自分には良い物を見極める能力がないという敗北宣言にもなり得る。

 

例えばシャネルを持ちたいから持つという人がいる。この人はブランドに踊らされている人である。

 

 

ブランドにこだわらないと言いつつ、私にもそういう面がないわけではない。

高いワンピースを着て街を歩いてみたい。

大人になったら、安くても大体なんでも様になる若い時代が終わったら、

そういう買い物が増えていくのかなあと思うと少し悲しい。

 

 

自由なんて存在しないとは思いつつ、資本主義に踊らされたくはないのである。

自由に好きな服を選んで、好きな服を買いたい。

 

こないだ可愛いなと思った花柄のワンピースがあった。あそこのショッピングモールの〇階のあのあたりのお店ということしか覚えていない。有名ブランドなのかどうかもよくわからない。悩んだけどやっぱり買いに行こうかな。

 

さて、先ほどの話に戻るが、女の先輩の答えが的を得ていた。

「ブランドが好きなんじゃなくて、ブランドが似合う女性に見られたいのだと思います」

カッコいい。

 

この先は恋愛論になってしまいそうだが、こういう答えは好きである。

 

 

 

おわり

心に偶には名言を

 

この一年、どんな一年だったか

というとなんとも言えないのだが、

後半だけに焦点を絞ると

自分の怠慢さとか思考のパターンとか、身体的特性とかにバーンと打ちのめされてウンウン泣いた下半期だった

 

ズドーーンと重くのしかかってくる私の無能さ

だけどそれを補うだけの努力はしなかった

時間だけがひたすらに過ぎていく

 

持っていた夢の輝きが失せてからは、急に失速したと思う

弱気になると、あらゆるものが高い壁のように見えてくる

 

だが、ひとつ、気付いたことがあって

それは

俗にいう「ネガティブ思考は何も生まない」は的外れだということ

こういう時にしかできないことも

それなりにあるものだ

 

「短所を裏返せば長所」とかいう表裏一体説はあまり信じないが

確かに側面は色々存在する

 

エモーショナルなことに敏感になった

心が文学的になった

 

ヒューマンドラマの映画を見漁ったし

上手く言ってるときだったら気に留めないような名言チックな名言にジーンときたりした(自分で言ってて恥ずかしい)

こういう時にしかきっと書けない文章もある

 

出会った素敵な名言たちを少し紹介したい。

 

漫画『銀の匙』より

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フランス映画『アメリ』

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ちゃんと荒波に揉まれたいと思う

現実に対峙して失敗して、生き残れるかのふるいに掛けられてみたいと思う

 

毎日ワクワクすることを生み出していきたい

明日は今日より見た目も中身もキレイになっていたい

夢を追いかけていたいと思った

 

いや、まずはどれを夢にするかを選ぶところから始めなきゃいけないのだけど

最近見た映画のこと②

 

 

ハッピーエンドが書けるまで(★★)

 

この映画を観た動機は、単に表紙のリリーコリンズが可愛かったからだ。大きい黒目と綺麗な太眉に惹きつけられる。彼女を見てると眉というパーツがいかに顔の中で存在感を放っているかを思う。持論だが、美人には眉が美しい人が多い。

映画の話に戻るが、これはバラバラの家族が1つになる話である。

私はこのようなヒューマンドラマに弱い。この映画も泣きながら見た。

両親の離婚と母娘断絶。妻の帰りを待つ夫、母親を拒み続ける娘。

「家族だから仲良くすべき」なんていう薄っぺらい答えではなく、 もっと現実的で聡明な答えをこの話は出している。

家族になにか必然的繋がりがあるのではなくて、

やはり個々の意思の総体であるのだと私は思う。

この話が好きだ。

 

親愛なる君へ( )

 

ラブストーリー。

人生を劇的に変えるような二週間など存在するのか、

たった二週間で赤の他人から最愛のパートナーへと関係を構築することは可能なのか、映画の設定に基づく疑問は色々存在するが、それはここでは脇に置いておこう。

正直に言うと、この映画は期待したほどではなかった。

その原因には①テーマがよくわからないこと②無駄なシーンが多いことがあると思う。

 

まず①、結末が曖昧だったことが多い。

男は軍人で、女はひたすら彼の帰りを待つのだが、寂しさゆえに女は、子連れの別の男性と結婚してしまう。

再会すると、彼女の夫は自分の知る人で彼は病気だった。

最後は寄りを戻すシーンで終わるのだが、

女の方は離婚してないの?夫は病気じゃないの?子供は自閉症で彼女が唯一の理解者じゃないの?それなのにより戻すの???

脳内が「????」の状態のままで終わった。

序盤では永遠の愛が主題のドラマかと思っていたが、そう片付けるには無責任過ぎる結末だった。もう一つ付け加えると原題は「Dear John」というのだが、題の理由も不明瞭だった。

②、この映画を見て得た気付きがある。

作品性が高く美しい映画が持つ要素というのは無駄なシーンがない。

余計なものを限りなく削ぎ落したような。

逆に言えば、素が既に洗練されていて、飾り立てる必要がないような。

この映画は無駄なシーンが多かった。軍人johnが撃たれるシーンは一体何だったのか。うーーん。

感動に導こうとする手法が露骨すぎると興ざめする。そんな感じもした。

 

最近見た映画のこと①

 

【エターナルサンシャイン】(★★★)

バレンタインは主人公の二人が出会った日だったと思う。

私は丁度その一週間前にこの映画を見た。

 

失恋した苦しみから逃れたい、楽しかった思い出を一刻も早く消し去りたい、その思いから主人公は記憶除去手術によって記憶を「消す」ことを決断する。

消して早く楽になりたかったはずなのに、

むしろ恋人との思い出一つ一つが自分を作り上げているのだと気づく。

たとえ恋人関係や夫婦という事実が消滅しても、人生を彩るのは紛れもなく今までの記憶だということを知らしめてくれた。

序盤スピーディーだと感じた物語も全て巧妙な仕掛けの中にある。

魅力あるキャラクターのセリフ、そして運命は存在するという結末が最高にロマンチックだった。

付き合うか否か、結婚するか否かのようなゴールのある愛の物語ではなく、ただただ愛を突き詰めた珠玉の恋愛映画だ。

鑑賞後感想を調べたら、評価が二分するようだが、

私は好きなラブストーリーランキング一位にしたいくらい、この映画が好きである。

 

ツレがうつになりまして】(★)

心理学はもとより精神病に関心があったこと、そしてカバーの宮崎あおいの可愛さに惹かれてこの映画を選んだ。

堺雅人演じる「ツレ」がうつにかかるのだが、その描写がかなり緻密だ。

うつの思考回路は、身の回りに起こることを全て自分に非があると落とし込む特徴があるらしい。

あらゆることへの「申し訳ない」の行きつく先は「生きていて申し訳ない」。

このような思考回路をしている人にとって、例えうつでなくても、この映画は落ち込んでいるときの自分を客観的に映し出すのではないかと思った。

主人公は妻のハルさんの助けによって少しずつ元の生活に戻っていく。ハルさんの語る言葉一つ一つがツレの病める心に響いていく。

「普通」の生活をするのに必要なのは「努力」ではなく「工夫」。

もし自分や近くにいる人がうつ病になったとき、どのように解決していくべきか、それを教えてくれる映画だった。