読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

白黒よりも鮮やかで

ブログ名を変えました。大学生、進級しました。

勝利を確信する瞬間について。

 

勝利を確信する瞬間ってなんでこう、独りよがりなんだろうと思う。

昔よくやってたスーパーマリオは、ゴールしたらミニマリオがハタに飛びついて、ハタが降りてくると「win」の文字が出た。

ハタに飛びついた途端、勝利は我が物だった。はやく「win」が出ないかなとかいう焦燥感とか、ワクワク感とか。

 

何回成功しても、毎回毎回同じ様に任天堂は毎回毎回「win」を見せてくれた。

 

10年経って、

完全勝利を確信しても待ってる結果が「win」とは限らない、

そんな勝利が増えた気がする。

羽生結弦が表彰台に飛び乗るような喜びなんて殆ど存在しなくて、

80年代の映画みたいに多分タバコ吸いながら黄昏れるしかないような喜び。「ヤッター」なんて、なんの感情もなしに言えないような。

 

祝杯は今はスイーツだけど、いつかは渋くなっていくんだろうか。

 

ブランド論

 

 

この間、先輩方とお話していた時のこと。

男の先輩がふと零した言葉が耳に止まった。

「なんで女性ってそんなにブランド物が好きなの?」

 

ブランド好きなのは女性だけではない。

こだわる人は泥沼のようにはまっていく、そんな印象である。

 

私は「良い物」は好きだけど、自分がどこで服を買ったかもわからないズボラなので

多分、ブランドを追いかける資格もないと思う。多分。でも私も思うのである。

なんでブランドに執着する人はそんなに執着するの?

 

ブランド好きは「良い物好きなのか」。ブランド好きが高じたら、オーダーメイド好きになっていくのか。それともブランド好きは永遠にブランド好きで、ずっとヴィトンやエルメスを追いかけ続けるのか。

 

そもそもブランドの良さというのはその服のデザインにあるのか、それとも品質にあるのか、タグにあるのか。それすらもわからない。

 

元々はその服のデザインと品質に対する保証書がタグだったのではないかと思う。

このデザインとこのクオリティはウチのものですよ、と。だから首元の内側にタグをつけた。だれも見ないような場所に。

 

だが、ハイブランドになるにつれて、そのタグを前面に出すブランドも増えてきた。

いわば歩く広告である。しかし、着る身としては、これで何を着てるかが、その服にどれほどの投資をしているかが露わになる、いわば価値尺度としての性格を持ち始める。

 

その服のデザインが好きだからブランドを着るという人がいる。これは私が好きな答えである。この時、主導権は服を着る人の方にあって、着る人はいたって自由である。

 

このブランドは高品質なのがわかっているから、買う。という人がいる。分からなくもない。どんな素材を使っているか、いい物なのか判断する面倒な時間や勉強の手間を省いた、合理的な時短方法である。しかしそれは、自分には良い物を見極める能力がないという敗北宣言にもなり得る。

 

例えばシャネルを持ちたいから持つという人がいる。この人はブランドに踊らされている人である。

 

 

ブランドにこだわらないと言いつつ、私にもそういう面がないわけではない。

高いワンピースを着て街を歩いてみたい。

大人になったら、安くても大体なんでも様になる若い時代が終わったら、

そういう買い物が増えていくのかなあと思うと少し悲しい。

 

 

自由なんて存在しないとは思いつつ、資本主義に踊らされたくはないのである。

自由に好きな服を選んで、好きな服を買いたい。

 

こないだ可愛いなと思った花柄のワンピースがあった。あそこのショッピングモールの〇階のあのあたりのお店ということしか覚えていない。有名ブランドなのかどうかもよくわからない。悩んだけどやっぱり買いに行こうかな。

 

さて、先ほどの話に戻るが、女の先輩の答えが的を得ていた。

「ブランドが好きなんじゃなくて、ブランドが似合う女性に見られたいのだと思います」

カッコいい。

 

この先は恋愛論になってしまいそうだが、こういう答えは好きである。

 

 

 

おわり

心に偶には名言を

 

この一年、どんな一年だったか

というとなんとも言えないのだが、

後半だけに焦点を絞ると

自分の怠慢さとか思考のパターンとか、身体的特性とかにバーンと打ちのめされてウンウン泣いた下半期だった

 

ズドーーンと重くのしかかってくる私の無能さ

だけどそれを補うだけの努力はしなかった

時間だけがひたすらに過ぎていく

 

持っていた夢の輝きが失せてからは、急に失速したと思う

弱気になると、あらゆるものが高い壁のように見えてくる

 

だが、ひとつ、気付いたことがあって

それは

俗にいう「ネガティブ思考は何も生まない」は的外れだということ

こういう時にしかできないことも

それなりにあるものだ

 

「短所を裏返せば長所」とかいう表裏一体説はあまり信じないが

確かに側面は色々存在する

 

エモーショナルなことに敏感になった

心が文学的になった

 

ヒューマンドラマの映画を見漁ったし

上手く言ってるときだったら気に留めないような名言チックな名言にジーンときたりした(自分で言ってて恥ずかしい)

こういう時にしかきっと書けない文章もある

 

出会った素敵な名言たちを少し紹介したい。

 

漫画『銀の匙』より

f:id:leorina:20170324211410j:plain

 

フランス映画『アメリ』

f:id:leorina:20170324212128p:plain

 

 

ちゃんと荒波に揉まれたいと思う

現実に対峙して失敗して、生き残れるかのふるいに掛けられてみたいと思う

 

毎日ワクワクすることを生み出していきたい

明日は今日より見た目も中身もキレイになっていたい

夢を追いかけていたいと思った

 

いや、まずはどれを夢にするかを選ぶところから始めなきゃいけないのだけど

最近見た映画のこと②

 

 

ハッピーエンドが書けるまで(★★)

 

この映画を観た動機は、単に表紙のリリーコリンズが可愛かったからだ。大きい黒目と綺麗な太眉に惹きつけられる。彼女を見てると眉というパーツがいかに顔の中で存在感を放っているかを思う。持論だが、美人には眉が美しい人が多い。

映画の話に戻るが、これはバラバラの家族が1つになる話である。

私はこのようなヒューマンドラマに弱い。この映画も泣きながら見た。

両親の離婚と母娘断絶。妻の帰りを待つ夫、母親を拒み続ける娘。

「家族だから仲良くすべき」なんていう薄っぺらい答えではなく、 もっと現実的で聡明な答えをこの話は出している。

家族になにか必然的繋がりがあるのではなくて、

やはり個々の意思の総体であるのだと私は思う。

この話が好きだ。

 

親愛なる君へ( )

 

ラブストーリー。

人生を劇的に変えるような二週間など存在するのか、

たった二週間で赤の他人から最愛のパートナーへと関係を構築することは可能なのか、映画の設定に基づく疑問は色々存在するが、それはここでは脇に置いておこう。

正直に言うと、この映画は期待したほどではなかった。

その原因には①テーマがよくわからないこと②無駄なシーンが多いことがあると思う。

 

まず①、結末が曖昧だったことが多い。

男は軍人で、女はひたすら彼の帰りを待つのだが、寂しさゆえに女は、子連れの別の男性と結婚してしまう。

再会すると、彼女の夫は自分の知る人で彼は病気だった。

最後は寄りを戻すシーンで終わるのだが、

女の方は離婚してないの?夫は病気じゃないの?子供は自閉症で彼女が唯一の理解者じゃないの?それなのにより戻すの???

脳内が「????」の状態のままで終わった。

序盤では永遠の愛が主題のドラマかと思っていたが、そう片付けるには無責任過ぎる結末だった。もう一つ付け加えると原題は「Dear John」というのだが、題の理由も不明瞭だった。

②、この映画を見て得た気付きがある。

作品性が高く美しい映画が持つ要素というのは無駄なシーンがない。

余計なものを限りなく削ぎ落したような。

逆に言えば、素が既に洗練されていて、飾り立てる必要がないような。

この映画は無駄なシーンが多かった。軍人johnが撃たれるシーンは一体何だったのか。うーーん。

感動に導こうとする手法が露骨すぎると興ざめする。そんな感じもした。

 

最近見た映画のこと①

 

【エターナルサンシャイン】(★★★)

バレンタインは主人公の二人が出会った日だったと思う。

私は丁度その一週間前にこの映画を見た。

 

失恋した苦しみから逃れたい、楽しかった思い出を一刻も早く消し去りたい、その思いから主人公は記憶除去手術によって記憶を「消す」ことを決断する。

消して早く楽になりたかったはずなのに、

むしろ恋人との思い出一つ一つが自分を作り上げているのだと気づく。

たとえ恋人関係や夫婦という事実が消滅しても、人生を彩るのは紛れもなく今までの記憶だということを知らしめてくれた。

序盤スピーディーだと感じた物語も全て巧妙な仕掛けの中にある。

魅力あるキャラクターのセリフ、そして運命は存在するという結末が最高にロマンチックだった。

付き合うか否か、結婚するか否かのようなゴールのある愛の物語ではなく、ただただ愛を突き詰めた珠玉の恋愛映画だ。

鑑賞後感想を調べたら、評価が二分するようだが、

私は好きなラブストーリーランキング一位にしたいくらい、この映画が好きである。

 

ツレがうつになりまして】(★)

心理学はもとより精神病に関心があったこと、そしてカバーの宮崎あおいの可愛さに惹かれてこの映画を選んだ。

堺雅人演じる「ツレ」がうつにかかるのだが、その描写がかなり緻密だ。

うつの思考回路は、身の回りに起こることを全て自分に非があると落とし込む特徴があるらしい。

あらゆることへの「申し訳ない」の行きつく先は「生きていて申し訳ない」。

このような思考回路をしている人にとって、例えうつでなくても、この映画は落ち込んでいるときの自分を客観的に映し出すのではないかと思った。

主人公は妻のハルさんの助けによって少しずつ元の生活に戻っていく。ハルさんの語る言葉一つ一つがツレの病める心に響いていく。

「普通」の生活をするのに必要なのは「努力」ではなく「工夫」。

もし自分や近くにいる人がうつ病になったとき、どのように解決していくべきか、それを教えてくれる映画だった。

 

 

受験期を思い出す

 

2017年お正月、録画しておいたビリギャルを見て号泣した。

ラストシーンではなく前半で。

始まってすぐにボロボロと涙を零す姿に一緒に見ていた弟からは奇異の表情で見られた。

 

やはりわたしは受験とか、甲子園を目指すとかそういう青春ドラマが好きである。

全てを犠牲にしてたった一つの目標にひた向きになる姿は、やはり美学だと思う。

お前は無理だと周囲に言われながらも、心に決めた志望校を胸にスタートダッシュを切る姿、あそこにとても涙を誘われた。

サヤカが受験期の自分の姿に重なった。ああいうひた向きさはもう味わえない。わたしにとっての財産だった。

忘れていたものを思い出した。そんなお正月だった。

 

丁度それと被るくらい、大掃除の時に去年の日記帳を発見した。

私はそういう類のものは直ぐに捨ててしまうタイプなのだが、それは捨てるタイミングを逃したのか、捨てずに残されていた。

 

始まりは高3の夏の体育祭。楽しい思い出とか、見たドラマの感想とか、模試の結果とか、志望校を巡る喧嘩とか結構色んなことが書かれていた。

時系列もむちゃくちゃ。

どこが終わりだかわからない。

 

つい一年前のことなのに、覚えてないことだらけだった。

記憶のなかの私はあんこバターパンが好きだったが、

実はバナナアイスも好きで、

激しいロックソングばかり聞いていたと思っていたら

受験応援ソングも結構聞いていたようだ。

ノートに書かれた歌詞を見て思い出した。

 

けれど私が記憶してる私より、日記帳の私はずっと暗かった。

 

7:3でネガティブなことばかり書かれていた。

読むのも面倒で読み流したものがほとんどである。

 

文章を書きたくなるのは、決まって気分が落ち込んだり感傷的になるときだったから、というのもあるのかもしれない。

落ち込んだ気分は凝縮したらこれほど暗くなるのかもしれない。

 

一年前の私はほぼ別人で

もう今の私からは手の届かないところにいる。

 

 

わたしのモットーは常に「今を生きる」だったし、過去に囚われたくないと思ってきた。 

そういう自分が少し残念だった。

 

 

 

 

 

記憶なんて極めて曖昧なものである。(笑)

 

 

 

 

今地元でアルバイトの塾講師をしていて、

今度は中三の受験生をサポートする側にある。

たとえ志望校に入れなくても頑張った記憶は残してあげたいな、とそう思った。

 

 

 

 

 

フランス人のgentle man は「失礼しました、Madame」ではなく「失礼しました、Monsieur」と言う。

 

 試着室にて。

フランス人の男性が試着しようとドアを開けたところ、そこには試着中の女性がいた。慌ててドアを閉める。

この時「失礼しました、マダム」と言いながら閉めたら優しい人で

「失礼しました、ムッシュー」と言いながら閉めたら、それは機転の利く人だという。

(注 ムッシューとはフランス語で男性の敬称)

この話を聞いたことがある人はきっと少なくないだろう。

よくある、機転が利く人の例え話である。

 

 

 

 

またホテルバイトの話になる。

その「機転」を強く意識させる出来事があった。

 

わたしが働いているのはバイキング形式のレストラン。

食べ残しの持ち帰りはお断りしている。

 

あるときバイキングに来ていた夫人2人に話し掛けられた。

 

「これ、持って帰ることはできないかしら。

食べようと思ってとったんだけど、その後すぐにカニが出て来たからそっちの方に行っちゃって食べられなかったのよ。」

 

 

 テーブルを拭いてる手を止めて咄嗟に顔を上げた。

 

こういうことを聞かれたのは初めてだった。

 

念のため社員に確認を取ろうとその場を離れた。

 

その時ヘルプでそのお客様に対応してくれたのは同い年で、バイトは半年先輩の人だった。

 

「申し訳ありませんが、お持ち帰りはお断りしております。」

 

そこで終わるのかと思ったが、彼女は更に続けてこう言った。

 

「ところでカニはどうでした?」

 

お客様と彼女の、カニの話が始まった。

 

話は弾んでく弾んでく。

 

お客様から断られた不快感は一切感じられなかった。お客様から「ここはこうした方がいいわよ」とアドバイスまで頂けた。

 

 

彼女の、機転の良さに圧巻だった。

 

 

 

圧巻だった。

 

 

ホテルマンはサービスを「提供する」ものだと思っていた。お客様が求めることを「してあげる」だけだと思っていた。だからお客様から一歩引いたところにいて、その距離は少し遠いように感じていた。

 

 

同じ目線でのコミュニケーションの中にサービスがあることは考えたことがなかった。

 

 

自然な流れで不快に感じさせない、このやり方は素直に尊敬に値する。

 

 

非常に勉強になった。